志賀直哉は、以前から奈良に 住んでいる阿家や僻州との親交も深 めていった。なかでも束大寺観宵院 かみつかさかいうん の上司海雲(1906~75)と は親子位の年の差であったが、終 生親しく交わった。
海雲はことさら 壷を好んだところから一名壷法師 (歌人満作必の命洛といった)とも呼 ばれ、戒俄はそのような海雲に李朝白磁 の大壷を州っています。
重文級のこの大礎は、しかし悲し い結果になります。海雲の甥で、弟子 でもある新藤晋海師はそのときの事 件をリアルに話してくださった。
数年前のこと、この、磁大強をねらっ て観音院に泥棒が入ったのです。床の間か ら壷を盗み、逃げ出そうとウロウロ していたので、垂国海師が誰何したと ころ、泥棒は壷を庭に叩きつけて逃 げてしまったらしい。
志賀戒俄は「奈良」といったエッセ イで次のように書いています。《奈良 は美しい所です。……今の奈良は昔の 都の一部分に過ぎないが、名画の残 欠が美しいようにきれいな》 志賀直哉はこの 「名川の残欠」の町を後にします。