文士が愛した大和路

2012-02-23更新

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亀井勝一郎

亀井勝一郎は、大和路辿遥のバイ ブルともいうべき『大和古寺風物 誌』で次のように書いている。

《「ああ塔がみえる、塔がみえる」l そう思ったとき、その場で車をすて て、塔をめざしてまつすぐに歩いて 行く。これが占排巡礼の風情という ものではなかろうか…》

この名杵を世に送り出した のは昭和賜年4川のことである。そ の6年前の秋、亀井は初めて大和の 地に足を踏み入れる。

彼を大和へ向 かわせたものは何か。彼自身そ のことについて多くを語らないが、 加歳のとき東大新人会の会員となり 左翼運動に加わり、翌年逮捕され2 年半の獄中生活を経て「転向」した ことが、大きな傷となって彼の心の 中に残り、その癒しの旅でもあった ことは確かであろう。

この大和路巡歴の後、毎年 券と秋、年中行蛎のように奈良への 旅を繰り返す。『風物誌』のなかで 彼はこうつぶやく。

《美術研究のた めに大和を訪れるなどは末のことで、 仏像は拝みに行くものだと、そのと きはじめてこの単純な理を悟った》 大和路迦雌と記紀万災の仙 界に分け入ったは、とりわけ聖 徳太子に心惹かれ、やがて「本人の 桁神史研究」をライフワークとする。

この旭非勝一郎に大きな彩禅を受 けた写真家が奈良に住んでいた。平 成4年に急逝した入江泰吉である。

入江は空襲で大阪の家を焼かれ、や むなく故郷の奈良へ帰ってくる。 「脚破れて山河あり」の思いで毎日 もんもん を悶々と過ごしていた。

彼は 亀井の『大和古寺風物誌』を下に入 れる。旭井の文章は砂漠にしみいる 水のように、入江の広漢とした心に 流れ込んだ。

実は入江が奈良の仏像 を撮り始めたのは別の動機からであ る。しかし入江が戦後本格的に大 和・飛鳥の風景や古社寺の撮影に取 り組んだとき、この本の果たした役 割を果たしている。

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